ネパールトレッキング2-9

ジョムソン街道2

2018年12月26日5時30分カグベニのホテルパラダイスにて記す。: ネパールに来て今日でちょうど10日目。昨日、ムクティナートで日本語のできるネパール人二人と数分話した以外は全部片言の英語。オフシーズンであり、英語を話すツーリストもほとんどいない。昨日はムクティナート(3798m)まで標高差1000mを往復したが、思っていたほど息切れはせず、高山に来ているという実感は少なかった。まだもう少し高い所まで行けると思う。高山病の症状は軽い動悸くらいしか出ていない。ムクティナートはチベット仏教とヒンズー教の聖地であるが、人が少なく、お寺の規模は小さく、新しい寺院や新しい大きな仏像があり、あっけない印象だった。街は観光地になっていて、車で行くことができる。歩いている巡礼者は見かけなかった。

15時30分ジョムソンのホテルスノウランドにて記す。: カグベニに別れを告げ、荒涼とした大地と川と雪山を見ながら、車道を2時間半かかって歩いてジョムソンに着いた。これでトレッキングは無事終了した。荷物は約10Kgで、平地でも疲れる。ここのホテルでは一昨日に会った主人がよくしてくれる。シーズン中には3500~4000ルピー(1ルピーは約1円)の良い部屋を、シーズンオフであり、36年ぶりの再来なので、特別価格の1000ルピーにしてくれた。近くにあるタラ航空のオフィスで明日の8時のポカラ行の飛行機のチケットを購入した。125USドル。

ニリギリ カグベニとジョムソンの間の地点から望む
ニリギリ
ホテルスノウランドから空港が見える
ホテルスノウランドから空港が見える

19時30分ジョムソンのホテルスノウランドにて記す。: 夕食はタカリー族(料理を作るのが得意と言われている種族)のダルバート(ネパールの定食)で、少しスパイシーだが、おいしくいただけた。タカリーの本当のダルバートはもっとスパイシーで、外国人向けにアレンジしているとのこと。宿泊者名簿を見せてもらったら、ほとんどはネパール人。彼らには本当のダルバートを出しているのだろう。名簿にはほんの少しだが、日本人もいた。一昨日に見かけた表の銀行のガードマンが夕食後に現れた。日本に20年ほど前に一年間滞在し、富山と新潟で酒造りの勉強をしたという。トゥクチェと富山県利賀村の姉妹都市の交流で来日したという。たどたどしい(多分僕の英語くらいかな)日本語で話をした。日本酒の造り方を勉強したのだが、ネパールには日本米がないので、酒は造っていないとのこと。僕を一目見て日本人とわかったようだが、中国人や韓国人と違う日本人の特徴を持っているのだろうか。他にも僕を日本人だと言って話かけてくる人は多い。インドのようなお金目当ての人はいない。日本人に親睦を持っているようだ。同じ仏教徒なので、通じるところがあるのだろうか。(注 ネパールにいる間に人による身の危険を感じたことは一度もありません。)ここのホテルは親切で、夕食時にストーブを出してくれ、就寝用に湯たんぽを作ってくれた。昨日までは一人秘境に取り残されていた雰囲気であったが、今日は仲間に助けられている感じがして心強い。観光シーズンは10月と11月だが、とても混んでいて、一人では泊めてくれなかったり、食事ができないこともあり得るらしい。3月と4月がお奨めのようである。

ダルバート(ネパールの定食) ご飯と小皿のおかずはお代わり自由
ダルバート(ネパールの定食)
ホテルスノウランドの主人(36年前に会ったおかみの息子)と バックの写真は中国との国境の街のムスタン(訪れるには特別な許可証が必要) 
ホテルスノウランドの主人と
日本に来たことがある銀行のガードマン
日本に来たことがある銀行のガードマン

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