ネパールトレッキング1-2

ジョムソン街道1

1983年3月29日15時ウレリの宿で記す。: 昨日泊まったチャンドラコットは標高1562mだが、セーターを着こんでシュラフに入っても寒かった。腹の調子は悪い。しかし意外と元気なので、ゴレパニ(2853m)目指して8時に出発。昨日まで一緒だった日本人二人と別れ、今日からは一人。アンナプルナサウス(7219m)が朝日に輝いていた。マチャプチャレはそれより低く(6993m)、輝いていなかった。魚の尾みたいな形に見える。ビレタンティまで急な下り坂。一気に500mも下った。もったいない。約1時間。ここからヒレまでだらだらの上り400m。この間約2時間。腹が減って力が出なくなったので、野菜チャーハンとレモンティー2杯の昼食。両方ともバッチリうまかった。この村ではバレーボール大会をやっていて人がいっぱい集まっていた。ティルケドゥンガまですぐ。ここから厳しい上り。700mを2時間弱で休憩しながら上った。途中、地元の少女3人が付いてきて、荷物を少し持ってくれた。荷物無しだとかなり楽に登れる。2時過ぎにウレリ(2120m)に到着。宿を探したけど、結局、途中で会った少女のうちの一人の家のロッジにした。

ヒレのバレーボール大会。ネパールではよくバレーボールを見かけた。
ヒレのバレーボール大会。ネパールではよくバレーボールを見かけた。
ヒレ 写真を撮ってくれと頼まれた。彼らはビレタンティからたぶんバレーボールの試合を見に来たのだろう。
ヒレ 写真を撮ってくれと頼まれた。彼らはビレタンティからたぶんバレーボールの試合を見に来たのだろう。
ウレリの手前の急坂。彼女たちは多分、ヒレへバレーボールの試合を見に行ったのだろう。ウレリに住んでいる。
ウレリの手前の急坂。彼女たちは多分、ヒレへバレーボールの試合を見に行ったのだろう。ウレリに住んでいる。
右の少女は僕のザックを10分ほど持ってくれた。急坂でバテていたので助かった。真ん中の少女の家はウレリで宿屋をやっている。そこに泊まった。
右の少女は僕のザックを10分ほど持ってくれた。急坂でバテていたので助かった。真ん中の少女の家はウレリで宿屋をやっている。そこに泊まった。
宿屋の台所。一日中火が付いていて、やかんがかかっている。ここはネパール人がよく休憩所に使っていた。このおばさんは計算ができない。
宿屋の台所。一日中火が付いていて、やかんがかかっている。ここはネパール人がよく休憩所に使っていた。このおばさんは計算ができない

途中で西洋人のトレッカーとはいっぱい会ったが、日本人はゼロ。馬の行列が面白い。5-10頭がひとまとまりで、先頭の2等ぐらいが鈴と飾りを付けている。先導馬なのか。最後に人が一人。麓まで行き、帰りに荷物を付けるのだろう。今日一日で10隊くらいに会った。今日のトレッキングコースはちょうどいい程度。あまり疲れていない。朝は7時に出るのが望ましく、夕方は3時くらいに着くのがいいだろう。標高差は1000mくらいか。

馬の行列。先頭の1-2頭は頭に飾りと首に鈴を付けている。
馬の行列。先頭の1-2頭は頭に飾りと首に鈴を付けている。

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