日本百名山登山の撤退記録

百名山比較分析

私は1975年3月(当時高校2年生)の霧島山の韓国岳からスタートし(当時は日本百名山のことは知りませんでした)、2022年9月に北海道の旭岳をゴールとして、約半世紀にわたっての日本百名山登頂を達成しました。この間に、毎回登頂できたわけではなく、何回かは途中で撤退したこともありました(2回名以降の登山も含む)。私は景色を楽しむことを重視していますので、天気が悪くなりそうな場合にはできるだけ登山を開始しませんので、積雪や時間切れによる撤退が多かったです。登山口まで長いアクセスをしても登れないと、後日、再挑戦をしなければなりません。ご参考のために私の撤退歴を記します。関東近辺が多いです。これまでに一度も遭難(ここでは遭難の定義として、捜索していただいたり、他人の力を借りて下山することとします)をしなかったのは、運も良かったのですが、適切に撤退を判断したことも寄与していると思います。

苗場山:撤退は複数回あります。途中で引き返したのは2回(降雪と時間切れ)、登山口までアクセスできなかったのが3回(降雪2回、天気不良)。詳細は4回目のチャレンジで池塘を見た苗場山を参照にしてください。山頂の池塘を見たい場合は意外と難しい山です。下の写真は神楽ガ峰辺りからの山頂で、疲れている時はこの登りが「絶望」だと感じます。

日光白根山:2回あります。1回目は、登山を本格的に始めた2007年8月に日光の湯本から中ツ曽根を通って登ろうとしましたが、道を間違えて金精沢の方に行って、大変な目に遭い(登山に関連して身の危険を感じたこと)、五色沼で力尽きました。2回目は、2022年5月29日に菅沼キャンプ場から目指しましたが、残雪が多く、道を何回か間違えて体力と時間を消耗し、阿弥陀ガ池から引き返しました。積雪時には足跡を辿っても、先に行った人が間違っている場合がよくあります。下の写真はこの時の阿弥陀ガ池辺りからの山頂です。

吾妻山:2010年5月2日に白布峠から西吾妻山を目指しましたが、残雪のため、ほとんど進まずに撤退しました。前日には会津磐梯山に表登山口から登頂しておりまので、西吾妻山の方が積雪量が多かったように思います。西吾妻山にはこのルートで2022年7月2日に初登頂しました。道のりは長く(その時はとても暑かったです)、5月初めでは本格的な雪山登山になるでしょう。

那須岳:2008年4月26日に朝日岳を目指しましたが、天候が悪かったので引き返しました。約1週間後の5月1日には天候が良くなり朝日岳および最高峰の三本槍岳に登頂できました。不幸にも、2023年10月6日には旭岳への登山道で4名の方が低体温症でお亡くなりになっています。この辺りは風が強い時もありますので、熟練者でも寒さや風の条件によっては難しいとのことです。

燧ガ岳:2019年6月2日に長英新道からチャレンジしましたが、残雪が多く、撤退しました。燧ガ岳には2022年8月16日に日本百名山99座目として見晴新道から登頂しました。下の写真は撤退した時の尾瀬沼からの山頂(右端)。麓から見ると残雪はそれほど多くはないと思ってしまいます。

至仏山:記録は残っていませんが、1986年頃の7月に(このころは日本百名山登頂を目指していたわけではありません)、梅雨が明けたので鳩待峠から至仏山に登ろうとしましたが、山頂手前で濃い霧が出てきて、断念しました。至仏山はそれから約23年後の2009年7月に山の鼻小屋から初登頂しました。関連記事:蛇紋岩の至仏山

天城山:2014年3月16日に天城高原ゴルフ場から最高峰の万三郎岳を目指しましたが、残雪のため万二郎岳から引き返しました。この年は残雪が多かったようです。万三郎岳は後日(2017年6月11日)、天城峠から天城高原ゴルフ場までの縦走によって訪れました。

霧島山:それまでに最高峰の韓国岳、及び、歴史があるということで深田久弥が推奨する高千穂峰には登頂していたのですが、開聞岳を登頂した次の日(2012年12月9日)に時間があったのでこれらの再登頂を試みました。ところが、韓国岳は登山口での天候が悪く断念し、南の方が天気が良さそうなので高千穂峰に挑みました。登り始めは天気が良かったのですが、山頂手前で強い吹雪となり、遭難しそうになりながらも、這う這うの体(ほうほうのてい:まさにこの表現がぴったりです)で引き返してきました。下の写真は御鉢からの高千穂峰です。

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