ネパールトレッキング1-9

ジョムソン街道1

1983年4月5日11時50分ジョムソンのホテルスノーランド(Hotel Snow Land)にて記す。: レッドハウスホテル(前日のカグベニでの宿)は非常にわかりにくいところにあるのに、なぜか白人たちがいっぱい来て満員になった。美しい壁画と仏像以外に、飯がうまいからだと思う。口コミで集まってくるのだろう。ほとんど英語圏の人間で、流ちょうに英語を話すので、僕にはまったく付いていけず、一人で隅に座っていた。英語を話せるようになりたい(注:日記には書いてありませんが、現在(2023年)の記憶では、この時に西洋人(おそらくアメリカ人)にショガン(と発音していた)(アメリカで作成されたテレビドラマ「将軍」のことで、三船敏郎や島田陽子が出演していた))の件で話しかけられました。「将軍」はアメリカで大ヒットしていて、モデルが徳川家康であることはわかっていましたが、英語ができず、話ができなかったことを覚えています。)。ブランケットを借りて、僕のチベット毛布と併せて寝た。暖かく、足を伸ばせるので、快適だった。

7時20分に出発。途中、道を少し間違えたが、ジョムソンへ到着。もうこれでトレッキングは終わった。疲れたが、奥へ進むにつれ、だんだん山の景色が良くなり、村がチベット風になり、素晴らしかった。ムクティナートは最高。ゴンパ(チベットの寺)を見て、秘境だと感じた。

ヤク(ジョムソンにて)
ヤクの毛、ヤクチーズはよく出くわしたが、本物に会ったのは初めて。この当時は大部分が高山地帯に移動していたとのこと。
ヤク(ジョムソンにて)
ヤクの毛、ヤクチーズはよく出くわしたが、本物に会ったのは初めて。この当時は大部分が高山地帯に移動していたとのこと。

1983年4月6日14時10分ポカラのビューコーナーコテージにて記す。: 幸い飛行機に乗ることができた。定員は18名ほどのミニプロペラ機。離陸の時と着陸の時の揺れはすごい。臨場感120%。いつ山に衝突するかわからない(注:希ですが強風に煽られて衝突することがあると聞きました。この当時のネパールでは、人命の価値は日本に比べて随分低かったようです)。生きた心地はしなかった。窓の外は靄(もや)ってて、翼も邪魔して、高い山はあまり見ることができなかった。アンナプルナが少し見えた。下を見ているとたくさん家が散らばっている。25分もしないうちに川が広くなった。湖だ。ポカラ湖に着いたのだ。5日半もかかってジョムソンまで辿り着いたのに、帰りはあっけない。飛行機より降りると、帰ってきたのだという実感が湧いてきた。第2の故郷のようである。暑い。昨日まで2800mの山にいたのだから、ここは12度ほど高いはずである(注 100m高度が上がれば約0.6℃下がることと、ポカラの標高が約800mであることから、当時計算したのだと思われます)。

乗客はほどんどネパール人。彼らの料金は僕ら外国人の半額。
乗客はほどんどネパール人。彼らの料金は僕ら外国人の半額。

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ネパールトレッキング(2018年)2-1に進む 2018年12月にネパールトレッキング1と同様のコースを辿りました。約36年の歳月がヒマラヤの奥地を大きく変えていました。

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