ネパールトレッキング2-1

ジョムソン街道2

2018年12月に、34年8か月務めた会社を定年退職しました。次の仕事までに半月ほど時間がありましたので、ずっと温めていたネパールトレッキングを敢行しました。1983年に辿ったコースを再び訪れたのです。ヒマラヤの奥地は想像以上に大きく変わっていました。日記の原文を尊重しつつ必要最小限の注釈や修正を加えて記事にしました。

アンナプルナ周辺 地球の歩き方 ネパールとヒマラヤトレッキング2018-19から引用
アンナプルナ周辺 地球の歩き方 ネパールとヒマラヤトレッキング2018-19から引用

2018年12月17日23時40分(カトマンドゥ時間)カトマンドゥのBlue Horizon Hotelで記す。: 関空→広州→カトマンドゥと、中国南方航空を乗り継いだ。日本とは3時間の時差。機内食はおいしくなかった。飛行機に乗ってからほとんど日本語は話していない。日本人は広州で降りる人がほとんどで、ネパールまでは来ない。空港でタクシーとホテルの斡旋があり、ホテルで(ポカラへの)バスチケットの斡旋があった。夜遅いので、言われるままの値段を払ったが、少しボラれているかもしれない。たいした額ではないが(ホテル25USドル、バスチケット12USドル)、ネパール人にとっては高額なのであろう。明日は7時のバスでポカラへ移動する。僕の第2の故郷だと1983年の春に感じた都市であるが、約36年(正確には35年9か月)の歳月を経てどのように変わっているのか確かめたい。ヒマラヤは見えるか?

2018年12月18日17時15分ポカラのシャンティ(Shanti)ゲストハウスで記す。: 移動や手続きがすこぶる順調に進んだ。6時40分にホテルの従業員がバスチケットを発行し、ホテルを6時45分に出て、ホテルの手配した車でツーリストバス乗り場まで連れて行ってもらい(有料、200ルピー、1ルピーは約1円)、バス出発の5分前くらいに乗ることができた。かなりギリギリだと思ったが、ホテルのネパール人は落ち着いていた。カトマンズ市内は埃っぽく、滞在したいとは思わなかった。

バスは途中3回休憩し、その間に食事ができた。昼食は野菜料理のバイキングのようなセット(250ルピー)で、カレーや豆スープがあり、やや辛いが、沢山食べた。バスに揺られながら、仕事がきつかったこと、無事に後任者に引継ぎができて安堵していること等を考えていた。達成感と開放感をしみじみ味わっていた。14時過ぎにポカラに到着。ネパール観光局でTIMS登録カード(2000ルピー)とアンナプルナ保護区入域許可証(ACAパーミット)(3000ルピー)を取得した。混雑しておらず、スムーズに進んだ。シャンティホテルまでレークサイドを歩いた。36年前に来た時のことはあまり覚えていないが、立派な建物が沢山出来ていて、月日の経過を感じた。日本と比べるとネパール人は働かず、昼間から座っている人が多い。街はごみが沢山ある。永久に日本のような勤勉さや清潔さはこの国にはもたらされないと思う。

広州の空港
広州の空港

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