ネパールトレッキング3-1

アンナプルナ内院

2019年10月~11月に第3回ネパールトレッキングを実施し、アンナプルナベースキャンプ(内院)を往復しました。このコースはアンナプルナⅠ峰を間近に見ることができる人気のコースです。1983年の第1回ネパールトレッキングで2日目にチャンドラコットで別れた日本人のうちの一人が行っており、その後ポカラでその人に再開した際に「とても良かった」と言っていたので、いつか行ってみたいと思っていました。

アンナプルナ周辺 地球の歩き方 ネパールとヒマラヤトレッキング2018-19から引用
アンナプルナ周辺 地球の歩き方 ネパールとヒマラヤトレッキング2018-19から引用

2019年10月27日13時35分カトマンドゥのアンナプルナロッジにて記す。: カトマンドゥの空港で悪いタクシードライバーにあたり、(注 現在ティハールというネパールの祭りのため明日からネパール観光局は休みに入るので、これからすぐに行って許可証を取得する必要があると告げられました。この話は本当のようでしたが、行先が違いました。)旅行代理店に連れて行かれた。ガイド付きツアーを断り(タクシー運転手がリベートを取ろうとしていたようです)、ネパール観光局へタクシーを向かわせた。TIMS登録カードは取得できたが、ACA入域許可証(Annapuruna Conservation Area Entry Permit)はインターネットのトラブルで取得できなかった(この後に制度が変わったようで、2023年5月に、TIMS登録カードはガイドやポーターを雇う場合のみ必要だとカトマンドゥのネパール観光局で聞きました)。明日ポカラで取得することにした(ポカラは明日まで開いているとのこと)。運転手には空港-ダルバール広場の700ルピーの他に、(ネパール観光局に行ってもらったので)1500ルピー支払うことになった(運転手はネパール観光局で小一時間待ったので、言い値はトータルで4000ルピーくらいだったと思いますが、旅行代理店に行けとは言っていないと主張して値切りました。こういう時には断固として対応しないといけません)。ダルバート広場近くの旅行代理店で明日のポカラまでのバスチケットを買って、昨年末に泊まったアンナプルナロッジ(ダルバール広場の近くにある700ルピーの安宿ですが、治安は大丈夫です)に泊まることにした。シャワーを浴びて、荷物を整理して、することがないので、明日のバス停まで約30分の散歩をした。タメル地区で日本円4万円を4万ネパールルピーに両替して、チベット料理店ギリンチェで夕食を食べて帰ってきた。

カトマンドゥの家の前の地面に描かれたティハール宗教的な飾り。富の女神ラクシュミーを家に誘う、色粉の飾り絵が玄関前や店先に描かれる。
カトマンドゥの家の前の地面に描かれたティハールの宗教的な飾り 富の女神ラクシュミーを家に誘う、色粉の飾り絵が玄関前や店先に描かれる

2019年10月28日ポカラNGレストハウスにて記す。: バスでポカラまでやって来た。約10か月前と同じコース。つい昨日のようである。景色を思い出しながら、やはりネパールはネパールで、日本とはかなり違うと思った。埃っぽくきたない。人はのんびりしている。犬は放し飼いで、たまに牛が道路の真ん中にいる。しかし、こういう風景は好きである。大多数の日本人には受け入れられないだろうが、僕は違う。36年前に日本に来た時、第2の故郷だと感じたが、今もその気持ちは持っている。3時過ぎにポカラに着き、すぐ近くのネパール観光局へ行き、ギリギリでACA入域許可証を取得できた。3時40分には閉められた。TIMS登録カードの事務局は最初から閉まっていたので、昨日カトマンドゥで取得していてよかった。明日は両方とも休み。本当にラッキーだった。一緒に行った外国人たち(僕もここでは外国人であるが)はTIMS登録カードが取れなくて、申し訳ない思いがした(このうち二人の西洋人は、2日遅れて出発し、日程を切り詰めてトレッキングしたようで、アンナプルナ内院からの帰り道で会いました)。ネパール観光局からNGレストハウスまで歩いて1時間20分ほど。5時過ぎに着いて、Deviたちと再会。ここのホテルは新しくきれいで居心地が良い。レイクサイドから遠いのがやや難点。

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