ネパールトレッキング1-4

ジョムソン街道1

1983年3月31日16時ガーサのロッジ(Ghasa Samjhana Hotel)にて記す。: タトパニは標高1200mほど(正確には1189m)なので、セーターなしのシュラフだけでちょうどだった。よく眠れた。日の出前に目が覚め、温泉へ行ってみた。タトパニはヒマラヤでは珍しく温泉が出る。3つあるらしい。ロッジから一番近い、歩いて5分くらいのところに1つある。小さくて5人も入れないだろう。すぐ川の横。温度は低く、ぬるま湯という感じ。出たら寒い。20分ほど浸かっていた。戻って飯を食い始めたら、何故か出発したくなった。多分、白人がたくさん歩いているのを見たからだろう。8時40分という遅い時間に出たのと足が痛いという2つの悪条件が重なったので、目的地のカロパニにも着けず、だいぶ手前のガーサが精一杯だった。予定ではタトパニから2日でジョムソンまで着くつもりであったが、変更して、あと2日かけてジョムソンへ行く。取り敢えず明日はトゥクチェ辺りか。普段全く歩いていなく、長期間のトレッキングは初めてときているので、足が痛くて歩けない。タトパニを越えると景色はかなり変わってきた。カリガンダキ川に沿った渓谷がずっと続く。乾季なのに川の水は豊富。ヒマラヤの雪解け水だろう。水色に濁っている。

タトパニのロッジにて
食肉用の牛に何かを飲ませていた。
タトパニのロッジにて 食肉用の牛に何かを飲ませていた。

途中の滝のところで、トレッキングの大パーテイーに会った。ネパールの、多分有名な団体だろう。隊長のような人(写真の右から二人目)が声をかけてくれて、昼飯を誘ってくれた。飯前なので、ありがたく頂戴した。ライス、いろんなおかず、チーズサンド、どれをとっても非常にうまかった。日本食に近い味。彼らの団体の何人かは日本へ来ているという。隊長ともう一人(写真の左から二人目)はエベレストで遭難した加藤保男氏を知っていた。そのもう一人は昨年12月、加藤氏のパーテイーのシェルパを務め、遭難の知らせをベースキャンプから村まで届けたという。

右から2番目の人が片言の日本語で話しかけてきて、昼食を勧めてくれた。左から2番目の人は去年12月、加藤保男氏のシェルパを務め、彼の遭難のニュースをベースキャンプから村まで伝えたと言っていた。
右から2番目の人が片言の日本語で話しかけてきて、昼食を勧めてくれた。左から2番目の人は去年12月、加藤保男氏のシェルパを務め、彼の遭難のニュースをベースキャンプから村まで伝えたと言っていた。
農作業
農作業
羊の群れを移動させている女の人。何匹かの羊はすぐに道草をするので、大変な仕事である。右の男の人はたまたま道端に寝ていたネパール人。
羊の群れを移動させている女の人。何匹かの羊はすぐに道草をするので、大変な仕事である。右の男の人はたまたま道端に寝ていたネパール人

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