青年期の日本百名山登山

百名山比較分析

 日本百名山を本格的に目指したのは2007年に間ノ岳で会った男性から話を聞いたのがきっかけです。それまでは百名山のことは知らなかったのですが、登山が好きで、大学生のころはサイクリングで山岳地帯を走った際に周りに見える山に憧れて、自転車を置いて登山したこともありました。青年期に20弱の百名山に登りましたが、そのうちのいくつかについて記します。

 最初に日本百名山に登ったのは1975年3月の高校1年の時の霧島山です。当時の写真を確かめると、最高地点の韓国岳(1700m)に登っていました。友人たちと九州旅行に行った際に登ったのですが、私が計画を立てたのではなく、その時のことはほとんど覚えていません。真ん中が私で、登山の格好をしておらず、コートを着ていて、水を持っていないようです。霧島山は大学生の時の1980年4月にも訪れていて、この時は縦走しています。

霧島山の韓国岳山頂

 1978年8月の大学生の時に、西日本大学サイクリング連盟の集いで富士山に登りました。5合目まで自転車で行き、そこからは徒歩で登りました。自転車を担いで登った人がおられましたので、山頂ではその自転車を借りて写真を撮りました。周りの人が笑っているのは、私が人の自転車で写真を撮っているからです。富士山には会社に入社してすぐの1984年8月にも登っています<富士山は登るより遠くから見るのが良い>

富士山山頂

 1980年8月の大学生の時に自転車で東北地方を旅した時に磐梯山に登りました。この時は、道路を走っていて登山口の標識が見えて、それほど時間がかからないと認識して、急遽登ることにしたのだと記憶しています。その数日後に越後駒ケ岳の登山口に差し掛かった時は、悪路の連続で疲れていたのと、本格的な登山者でないと登れない雰囲気がありましたでので、登りませんでした<42年越しの枝折峠からの越後駒ケ岳>

 1981年4月に浅間山の外輪山である黒斑山に行った時の記事は以下を参照 <積雪について>

磐梯山山頂付近

 1985年8月に、北岳、間ノ岳、農鳥岳の縦走をしました。前々日は宴会で、前日は登山口への移動で、2日間ほとんど寝ていなかったのに、若かったので登れたのだと思います。農鳥小屋で1泊しましたが、とても混んでいて、泊まる場所は二人で一畳のスペースでした。私は最後に小屋に到着したので、幸運なことに一人で一畳使えました。現在よりもこの当時の方が登山者が多かったようです。2007年に再度このコースを訪れたのは、以前に比べて体力が落ちていないことを確認するためでしたが、この登山で自信を持つことができました。この登山中に間ノ岳で偶然会った人から日本百名山の話を聞いて、これが天命だったようですで、百名山を目指すことにしたのです。

北岳山頂
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