ネパールトレッキング5-10

ゴーキョ・ピーク

5月4日 チュモア Chumoa 2950m のサナム Sanam ロッジにて(本日の歩行時間は約5時間): またネパールの国鳥のダフェを見たくなった。クムジュンではダフェを間違いなく見ることができると地球の歩き方に書いてあるので、朝食前に散歩してみた。探し方が悪いのか、それとも、日ごろの行いが悪いのか、見つけることはできなかった。この日の空気はかなり霞んでいて、アマ・ダブラムが見えなかった。エベレストまでは到底見えそうにないので、エベレストビューホテルを経由するのを諦めて、上りの少ないヒラリースクールの方からナムチェに行くことにした。

仏陀ロッジの女将は話好きで、話しているとこのロッジがすごいロッジであることがわかった。「夫は登山ガイドをしている。過去に13回エベレストに登頂した。現在もチャレンジ中で、成功すれば14回目となる。」「アルピニストの野口健さんがこのロッジに時々泊まりに来る。あなたが泊った部屋は野口健さんが過去に使ったことがある。」 携帯で、女将夫婦、野口健氏とその娘さんが一緒に写っている写真を見せていただいた。1番目の写真は仏陀ロッジの女将。2番目の写真はクムジュン村のストゥーパ。

8時30分ごろにロッジを出発し、40分ほどで峠に到着。疲れているのと咳が出るので、上りへの拒否反応が出ている。ここからナムチェへは下るのみ。飛行場(すぐ下の写真、左の丘の方角にエベレストビューホテルがある。丘の上に写っている建物がエベレストビューホテルかどうかは不明)(ルザのオーナーの話によると、エベレストビューホテルが保有していた飛行機専用の飛行場であったが、その飛行機が山にぶつかって破壊した(死者は2-3人)。現在はホテルがヘリコプターを借りて、この飛行場を使い続けているとのこと)の西側を抜け、馬蹄形のナムチェの村落(下の2番目の写真)を見下ろしながら下って行った。

ナムチェには10時過ぎに到着。往路のナムチェ滞在時に昼食を食べた食堂(Umami Taste Corner、 メインストリートのHerman Hellmer’s Restaurantの近く。メニューに野菜炒めなどの日本食が載っている。往路で利用した時には日本食には気づかなかったので、別のものを注文した。オーナーは長く幕張メッセに住んでいた。帰りは時間的に早かったので、食事はしなかった。)でミルクティーを飲んでから、標高差600mの急坂を、転んで怪我をしないように慎重に下った。下りはなんと楽なのであろうか。上りで苦しんだことが思い出される。ナムチェ―ジョレサレ間ですれ違った人はとても多く、トレッカーに限っても300~500人はくらいいただろう。そのうちゴーキョ方面に行く人の割合はわからないが、1-2割程度か?。下の3番目の写真はナムチェからの急坂を下りきったところのつり橋。最後の写真はジョレサレ手前のつり橋のナムチェ側で、ラバ道(右上側)とトレッカーの道(左側)の分岐点になっている。行きにはここでラバ道側に行ってしまった。

13時過ぎにジョレサレに着いて、昼食を取った。ジョレサレから少し先のモンジョの入り口にチェックポイントがあり、トレッキングカードと入場許可証を見せた。復路のチェックは、ポルツェ・テンガから30分ほどドーレ寄りにあるチェックポイントとここだけ。往路のチェックはこれらに加えて、ルクラを出たところ(トレッキングカード発行所のすぐ横)とナムチェ手前の坂を上り切ったところの合計4か所であった。モンジョからすぐにチュモア。時間は15時を過ぎていて、雨が降りそうなので、ここで宿を探した。ロッジはどこも開いていないようであった。シーズンオフの5月になったからかもしれない。行きに泊まったパクディンまで、更に1時間半ほど歩くしかないと覚悟を決めていたところ、小さいロッジが開いているのを見つけた(翌日気づいたが、チュモアにはもう1軒小さいロッジが開いていた)。天の助けだと思った。

ここの標高は2950mで、3000mを切っている。窓からはジャガイモ畑が見えていて、まだ小さいが育っている。また、何の木かはわからないが、花と葉の芽を付けている木も見える。下界に降りてきた感じがする。曇っているが、ここは暖かく、室温は20℃近いと思われる。溶存酸素濃度は97。平地の標準値(96以上)の範囲内に戻ってきた。

ネパールトレッキング5-1へ戻る

ネパールトレッキング5-11へ進む

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました